愛知県議会議員
伊藤 貴治
何度でも挑戦できる愛知へ——人と会い、ともかく動く。地域の仲間とつくる、夢を持てる未来

「なければ、自分たちでつくればいい」——20歳の成人式で芽生えた思い
Q. 政治家を目指そうと思ったきっかけを教えてください。
政治を意識し始めたのは、20歳の成人式の日でした。
僕は当時、群馬県高崎市の大学に通っており、成人式のために地元へ帰ってきました。久しぶりに仲間や地域のおじさん、おばさんと会い、「成人おめでとう」と声をかけてもらう中で、改めて「やっぱり、この町はいいな」と感じたんです。
その一方で、大学卒業後の進路について仲間と話した時、みんなが「東京へ行く」「大阪へ行く」と、地元を離れる話をしていました。僕は当然のように、いつもの仲間たちと、この町で何かを始めるのだと思っていました。
学生時代の僕たちは、「面白いものがなければ、自分たちでつくればいい」と、洋服のブランドをつくったり、イベントを開いたりしていました。そんな仲間たちが「この町には何もないから外へ出る」と言ったことが、すごく残念で悔しかったんです。「なければ、自分たちでつくればいいと言っていたじゃないか」と思いました。
それなら、自分がこの町を、仲間たちが帰ってきたいと思える場所にしたい。そんな思いから、ぼんやりと政治を志すようになりました。
Q. 学生時代の経験は、現在の活動にもつながっていますか。
根本的な部分は、今もほとんど変わっていないと思います。
学生時代から、「なければ自分たちでつくろう」「こういうものがあったらいいよね」を形にしてきました。
現在も、夢事業をはじめ、さまざまな活動を行っていますが、考え方は同じです。誰かがつくってくれるのを待つのではなく、「自分たちでやろう」と動き始める。その感覚は、ずっと続いています。
Q. 政治によって地域を変えたいと思うようになった原体験は何ですか。
大学時代を過ごした高崎市の環境も、大きく影響しています。
高崎は、福田赳夫さん、小渕恵三さん、中曽根康弘さんという歴代の総理大臣を輩出した地域です。政治活動が比較的身近で、政治家が地域の人たちと一緒に活動し、国政報告をしたり、将来の夢を語ったりする姿を見る機会がありました。
地域の人たちも、選挙になれば一生懸命応援する。政治家も地域へ足を運び、地域の人と関わりながら活動する。そうした光景を見て、政治とは国会や行政の中だけにあるものではなく、地域や一人ひとりの暮らしとつながっているものなのだと感じました。
身近な地域の課題から、国政や外交まで、政治が関わる範囲は非常に広い。日本を動かすという大きな話も、もとをたどれば一人ひとりの存在や、人と人とのつながりから始まっているのだと思います。
国があるから個人があり、個人がいるから国がある。その両方の視点を、高崎での生活を通して少しずつ意識するようになりました。
“「なければ、自分たちでつくればいいと言っていたじゃないか」と思いました。”
秘書として過ごした日々——「この人たちを裏切ってはいけない」
Q. 初めて選挙に挑戦すると決めた時、どのような覚悟がありましたか。
僕は、伊藤かつんど愛知県議会議員と酒井やすゆき参議院議員、二人の先生の下で秘書を務めてきました。秘書として仕事をする中で、多くの方と出会い、想いに触れました。
一生懸命仕事をすればするほど、この人たちの想いをなんとか形にしたいと思うようになり、そのうちに自分もその一部になっていく。この人たちの想いの一部に、自分も自然となっていったのだと思います。
地域の歴史や文化、さまざまな会や団体の想い……ただ、とにかく自分にできることをすべてやろうと思っていました。
活動を続け、動けば動くほど、「応援してやる」と言ってくださる方が増えていきました。もちろん、反対する方もいました。
それでも、自分を信じて応援してくださる方が増えるにつれて、「この人たちを裏切ってはいけない。もっと挑戦したい」という思いが強くなっていきました。
Q. ご家族から反対されることもありましたか。
ものすごく反対されました。特に妻と母親からは、強く反対されました。
ただ、僕は20歳の成人式の頃から、「こうなりたい」ということをずっと言い続けていました。大学を卒業した後も一般企業へ就職するのではなく、県議会議員の秘書として政治の勉強を続けていました。
そうした行動を見て、家族も少しずつ、僕の本気を感じるようになったのだと思います。
それでも、「なぜ、あなたがやらなければいけないのか」と何度も聞かれました。
僕は、自分が住む町であり、自分の好きな人や家族、子どもたちが暮らす町だからこそ、自分の手で少しでも良くしたいと話しました。政治は単なる仕事ではなく、取り組んだことが自分たちの暮らしに直接返ってくる仕事だと思っています。
だからこそ、自分が変えたい。自分がやりたい。他人のせいにする明日は、自分たち自身の明日だ。他人のせいにして生きるのは嫌だ。その思いを何度も伝えて、最後は半ば強引に進めた部分もあったと思います。
“人と会うことを面倒だと思うようになったら、政治の仕事をやめる時だ。”
「どうせ無理」という言葉と、アメリカで見た挑戦の土壌
Q. これまでの議員活動で、特に印象に残っている出来事を教えてください。
大きく二つあります。
一つは、子どもたちの言葉です。僕は以前から「夢があるから頑張れる」と考え、仲間と子どもたちの夢を後押しする事業を立ち上げたり、学校で「夢先生」という授業を行ったりしてきました。
トップアスリートと一緒に体を動かし、その凄さを体感してもらい、夢を持つことの大切さや、夢があるから頑張れるということを、自らの経験を踏まえて小学5、6年生に話してもらっています。この授業は大人からも「自分たちも毎回参加したいくらいだ」と、とても好評です。
ところが、コロナ禍に夢先生の授業で学校に入り、子どもたちと話をした際、「無理」「できない」「どうせ無理でしょう」という言葉を聞く機会が非常に増えました。
僕は、子どもたちの夢を本気で後押しできる町をつくりたいと活動してきました。そのため、子どもたちから直接そうした言葉を聞いた時は、とてもショックでした。そして、コロナ禍が子どもたちの心に、これほどまでにネガティブな影響を与えていたのかと、悔しく、寂しい気持ちになりました。
もう一つは、県議会議員になってから訪れた、アメリカのテキサス州オースティンやシリコンバレーでの経験です。
現地でスタートアップの状況を学びました。アメリカには、投資家や資本家が若者やスタートアップ企業を応援する土壌があります。良い事業や可能性のある人に対して民間の投資家が資金を出し、何度でも挑戦する機会をつくっているんです。
一方で、愛知のスタートアップは行政主導の部分が大きい。行政主導と民間主導では、失敗した後に再び挑戦できる環境に違いがあると感じました。
金融機関から融資を受けた事業が一度失敗すれば、次の融資を受けることは簡単ではありません。しかし、何度でも挑戦できる環境では、失敗を重ねながら成功へ近づいていくことができます。その違いは、とても大きいと感じました。
また、Google Cloudの本社を訪れたことも印象に残っています。
組合がなく、社員の働きやすい環境をつくるために、24時間食事を摂れるレストランや仮眠スペース、オンライン環境のほか、ゲームやスポーツを楽しめる設備が整備され、サッカーコートや野球場、バスケットコートにプールまで用意されていました。
そこで働く社員の皆さんは、「自分は何者になりたいのか」という思いを持ち、自ら懸命に働いていました。休みたければ休むことができる環境でありながら、多くの人が目標へ向かって働き続けている。その姿を見て、働き方改革に力を入れる日本との違いに大きな衝撃を受けました。
“想い、念じ続ければ実現する。自分の心を燃やしながら頑張りなさい。”
「想念実現」——最も苦しかった時期を支えた言葉
Q. 政治を志す中で、最も苦しかった時期はいつですか。
県議会議員の秘書をしていた時期です。
当時は十分な給料をもらえる状況ではなく、昼間は秘書として働きながら、夜は飲食店でアルバイトをし、朝は新聞配達もしていました。
大学を卒業した周りの仲間たちは、会社員として働き始め、給料をもらい、結婚する人も出てきました。一方で、自分はまだ勉強の身でした。自分の中では、この道を進むために必要な時間だと割り切っていましたが、周囲と比べて苦しくなることもありました。
飲食店で働いていると、お客様から「大学を卒業して何をしているの」と聞かれることがありました。
「政治の道へ進みたくて勉強しています」と答えると、「頑張ってね」と応援してくださる方もいましたが、「お前には無理だろう」と笑われることもありました。
自分が信じて進んでいる道を、周りに否定されたり、笑われたりすることは、やはり苦しかったです。
Q. その時、支えになった言葉はありますか。
「想念実現」という言葉です。
飲食店で働いていた時、ある方に自分の夢を話しました。すると、その方が「想念実現」と一言、僕に伝えてくれたんです。
「想い、念じ続ければ実現する。自分の心を燃やしながら頑張りなさい」と励ましていただきました。
僕はその言葉に、とても助けられました。くじけそうになった時も、その言葉を思い出して頑張ることができました。今でも大切にしており、名刺にも書いています。
その言葉をくださった方は、その後亡くなられました。後日、偶然その娘さんにお会いする機会があり、市議会議員になった自分の名刺をお渡ししました。
すると、名刺に書かれた「想念実現」という言葉を見て、娘さんが「これはあの時、父が言った言葉ですね」と気づいてくださったんです。
「お父さんからいただいた言葉で、今も僕の心の支えです。この言葉があったから、くじけそうな時も頑張ることができました」とお伝えすると、とても喜んでくださいました。
座右の銘は、無理に考えてつくるものではなく、自分の実体験の中で出会うものなのだと感じました。
“僕がつくりたいのは、ファンではなく仲間です。”
市議から県議へ——声を上げ、議論する場で
Q. 市議会議員から県議会議員になり、価値観が変わったことはありますか。
発言することに対する考え方が大きく変わりました。
市議会議員の時は、表立って発言するよりも、内々で調整することが重視されているように感じる場面がありました。議員としての期数を重ねるほど、質問や発言を控えるような空気もあり、僕はそこに納得できない部分がありました。
ところが、県議会では、期数が上の議員ほど積極的に発言します。
県議会議員は、地域や業界団体などの声を背負って議会へ出ています。そこで発言をしなければ、「何も考えていない」「何も求めていない」と受け取られてしまう可能性があります。
若手にも発言の機会はありますが、自分から手を挙げなければ、経験のある議員が次々と発言します。ただし、何でも発言すればいいわけではなく、いい加減な内容を話せば、次の機会を失うことにもつながります。
だからこそ、皆さんが非常によく勉強しています。地域や現場の生の声を聞き、その声を代弁するため、発言にも説得力と迫力があります。
その環境に入り、議員は声を上げ、議論しなければならないのだと、良い意味で大きな衝撃を受けました。
“誰もが夢を持ち、失敗しても、もう一度チャレンジできる。挑戦し続ける人を、周りが支える。そんな愛知県になればいいと思っています。”
「副次的な籍」——ひとりの声を、制度に変える
Q. 議員になって良かったと感じるのは、どのような時ですか。
自分の力だけではどうにもできない問題を抱えている方に寄り添い、これまで行政が目を向けてこなかった課題を、政策につなげられた時です。
一例として、「副次的な籍」という仕組みがあります。
ある方から、障がいのある子どもが、自分の住んでいる地域の学校へ通いたいと希望したものの、学校から受け入れを断られたという相談を受けました。
僕は、地域に住む子どもが地域の学校へ行きたいと言っているのに、なぜ断られなければならないのかと強く感じ、障がいがあっても通える環境を整えることが必要だと思いました。
そこで、特別支援学校へ通う子どもにも、地域の学校にもう一つの席があるという考え方を県へ提案しました。地域の学校にその子の籍があることを前提にすれば、学校側も「この子が来た時に、どのように受け入れるか」を考え、準備するようになります。
子どもたちは、学校の中だけで生活しているわけではありません。地域の道を歩き、地域で買い物をし、同じ地域の人たちと暮らしています。同世代の子どもたちと知り合い、地域の中で声をかけ合える関係をつくることも大切です。
こうした考え方が「副次的な籍」として県で形になった時は、議員として取り組んできて良かったと感じました。
人と会い、ともかく動く——ファンではなく、仲間をつくる
Q. 議員活動で大切にしている信念を教えてください。
大切にしていることは二つあります。
一つは、「人と会うこと」です。
政治活動の基本は、どれだけ多くの人の意見や想いに触れられるかだと思っています。雨の日や雪の日、気持ちが乗らない日もあります。それでも、人と会って話を聞くことを大切にしています。
秘書になった時、県議会議員の先生から、「人と会うことを面倒だと思うようになったら、政治の仕事をやめる時だ」と教えられました。僕自身も、本当にそうだと思っています。
もう一つは、「ともかく動くこと」です。僕は、「知覚動考」を大切にし、「ともかく動こう」と表現しています。
多くの人は、物事を知り、覚え、よく考えてから動くと思います。しかし僕は、まず動くことを先にしたいと考えています。
動くから課題が見え、課題が見えるから、また次の行動につながります。動く過程で仲間もできます。そこで見つかった課題を改善し、また動く。トライアンドエラーを繰り返すことが、前へ進むためには大切です。
Q. 地域の方々と接する際に心がけていることはありますか。
できる限り同じ目線に立ち、一緒に活動する側でいたいと思っています。
僕は、「ファンをつくる」という表現があまり好きではありません。「ファン」という言葉には、少し上から見ているような距離感を感じるからです。
僕がつくりたいのは、ファンではなく仲間です。距離が近いからこそ、率直な声を聞くことができます。
「先生」と呼ばれるよりも、「たかはる」「たかはる君」と呼ばれる方がうれしいです。同じ目線、同じ距離感で、一緒に活動することを常に心がけています。
地域の声を集める時も、アンケートだけではなく、一緒に活動することを大切にしています。公園の草刈りや管理、田んぼや畑での作業、障がいのある方のサッカー教室など、さまざまな場所に顔を出し、一緒に体を動かします。
その中で交わされる何気ない言葉や、現場で見える小さな課題を受け取ることが、僕にとっての地域の声の集め方です。
変革期の愛知で——福祉と産業振興に力を注ぐ
Q. 現在、愛知県が抱える課題をどのように考えていますか。
愛知県は、ものづくり、特に自動車産業の発展によって成長してきた地域です。それに伴って人口が増え、インフラが整備され、利便性も高まってきました。
一方で、自動車産業は今、100年に一度ともいわれる構造変革の時期を迎えています。世界の動きが激しく変化しています。
これまで愛知を支えてきたものづくりの形が変わる中で、次にどのような産業を育てていくのかを考えなければなりません。
今あるものを守ることだけに固執するのではなく、新しいものに挑戦し、大きく変えていく姿勢も必要です。
人口減少、高齢化、産業構造の変化、防災、インフラの老朽化など、課題は数多くあります。食や地域の基盤に関わる部分でも、足元から変化が起きています。
愛知県は日本の産業の中心であり、農業産出額でも全国上位に位置し、日本を引っ張る力を持っている地域です。だからこそ、変化を恐れず、大きな挑戦をしていく必要があると思っています。
Q. 特に力を入れている分野を教えてください。
命を守るインフラ整備は大前提ですが、その上で力を入れているのは、福祉と産業振興です。
自分の力だけではどうにもできない状況にある方を支えることは、行政や政治が当然取り組むべきことだと思っています。
ただ、「福祉」や「弱者救済」という特別なものとして分けるのではなく、困っている人がいれば当たり前に助ける、支える、肩を貸すという感覚を、地域の中になじませていきたいです。
産業分野では、スタートアップの推進に関心を持っています。自動車産業の構造転換が進む中、新しい企業や産業が挑戦できる環境をつくることが必要です。
スタートアップが育つことで、地域全体にチャレンジする土壌が広がっていきます。また、リニアや航空宇宙産業なども、これからの新しい成長産業として応援していくべき分野だと考えています。
圧倒的な活動量と、「全員が100点」ではない仕事
Q. ご自身の強みは何だと思いますか。
圧倒的な活動量だと思っています。活動量では負けない自信があります。
「こうしたらいいよね」という話が出ると、「では、やろう」とすぐに動き始めてしまいます。周りからすると、時には迷惑かもしれません。
いつも夢の話をするので、仲間からは冗談で「夢ハラ」と言われることもあります。
それでも、夢があるから頑張れる。動くから課題が見つかる。見つかった課題を直して、また動く。その繰り返しで、ずっと動き続けていることが、自分らしさだと思っています。
Q. 議員という仕事の難しさは、どのようなところにありますか。
全員が100点だと思える政策は、なかなかないことです。
できるだけ多くの人に会って話を聞き、自分自身も勉強しながら、バランスを取って判断します。
ただ、何かを進めれば、それに対して反対の意見も必ず出てきます。
ある人にとっては「助かった」「前に進んだ」と感じられる政策でも、別の立場から見れば、「なぜ、そのようなことをするのか」と感じることがあります。
実際に、県で形になった取り組みに対して、事務所や行政、新聞社などへ多くの反対意見が寄せられたこともありました。
一つの方向だけを見るのではなく、異なる立場や切り口があることを理解した上で判断しなければなりません。そこが議員の仕事の難しさだと思います。
家族との時間と、AIの時代に問い直す「人らしさ」
Q. 休日はどのように過ごしていますか。
休日は家族と過ごすことが多いです。子どもが4人いるので、一緒に公園を巡ったり、虫捕りやザリガニ捕りをしたりしています。この間は、用水で小さな魚をたくさん捕りました。
子どもたちと遊ぶことが、趣味であり、リフレッシュにもなっています。
僕自身、運動や体を動かすことも好きですが、子どもたちと遊び、夜まで仕事をした後に走りに行こうと思っても、疲れてしまっていることが多いですね。
Q. 最近、心を動かされた出来事はありますか。
エジプトに住んでいる知人の写真家が開いた個展です。
そこで、「自分たちが言葉で大切だと言っていることと、実際の社会の動きや、自分自身の行動は、どれほど一致しているのか」と問いかけられました。
例えば、「人を見た目で判断してはいけない」と言いながら、世の中には「人は見た目が9割」という言葉があります。実際、怖そうな人には声をかけにくいと感じることもあります。
また、「言語化」や「可視化」が重視される一方で、感覚や目に見えないものの大切さも、私たちは感じています。
そうした日常の中のズレや違和感を、写真を通して問いかけられ、改めて考えさせられました。
AIが台頭してくる時代だからこそ、人としての価値観やコミュニケーション、人との距離感、助け合い、支え合いといったリアルなふれ合いが、より大切になるのだと思います。
足りないものがあれば、近所の人に「少し貸してもらえませんか」と言える。人手が必要な時には、自然に助け合える。そうした関係を大切にしたいと、改めて感じました。
何度でも挑戦できる愛知へ——夢を持って進んでいこう
Q. 10年後、愛知県がどのような地域になっていてほしいですか。
何度でも挑戦できる地域になっていてほしいです。
誰もが夢を持ち、失敗しても、もう一度チャレンジできる。挑戦し続ける人を、周りが支える。そんな愛知県になればいいと思っています。
そのために最も必要なのは、コミュニケーションです。今の社会に絶対的に足りていないものが、コミュニケーションだと感じています。
きちんと説明があり、対話があれば、「あの人が言うなら納得できる」「そういう理由なら理解できる」と思えることがあります。しかし、その過程が飛ばされると、「なぜ、そんなことをするのか」という反対の動きに変わってしまいます。
コミュニケーションを通して理解し合うことで、「それなら自分たちにもできる」と、新しいつながりや行動が生まれます。その積み重ねが、何度でも挑戦できる地域につながっていくと思っています。
Q. 若い世代に伝えたいことはありますか。
自分たち次第で、何でもつくっていけるということを知ってほしいです。
今、当たり前にあるものも、決して最初から当たり前だったわけではありません。
日本で当たり前のことも、世界へ出れば当たり前ではありません。地域、会社、集落、チームの中で当たり前だと思われていることも、別の場所へ行けば違います。
今ある価値観を絶対的なものだと思わず、自分たちで新しいものをつくっていける。そのことを知ってもらいたいです。
Q. 今後、特に力を入れたい取り組みを教えてください。
これまで続けてきた活動と重なる部分もありますが、「人としてどうあるか」「日本人とは何か」「日本の価値観とは何か」ということを、より意識的に活動へ落とし込んでいきたいと考えています。
社会はさらにグローバルになっていき、地域や国の境目は、これからますます変化していくと思います。
AIがテレビのアナウンサーを務めたり、記事を書いたりする時代になり、人とAIの境目も曖昧になっていきます。
だからこそ、「自分はこういう人間だ」「自分たちは、こういう価値観を大切にしている」と胸を張って言えるものを持つことが大切です。
日本人として受け継いできた感覚や、人と人とが助け合う関係、自分たちらしさを、これからの活動の中で大切にし、発信していきたいと思っています。
Q. 愛知県民や、これからの次世代へメッセージをお願いします。
未来は明るいと信じています。
日本人として大切にしてきた価値観や、何度でも挑戦し続ける姿勢は、愛知県の強みです。
愛知県が培ってきたものづくりは、何度も挑戦し、失敗や改善を繰り返した結果として、良いものをつくり上げてきました。
起業家の挑戦と、ものづくりの挑戦は、決して遠いものではなく、根本では同じところにあると思っています。
日本人として、愛知県民として、何度でもチャレンジし、少しずつ成功へ近づいていく。
夢を持って進んでいこう。僕は、そう伝えたいです。